彼女は、神だった。
少なくとも自分にとって、彼女は「神」に等しかった。
「……お、俺、どうしていいか、わからな……っ…」
彼女が傷つくのは嫌だった。
彼女の光が翳るのは嫌だった。
「僕が全て何とかします。だからあなたは僕の言う事を聞いて、いつも通りに振舞ってください。
僕の言う事さえ聞いていれば、今までと同じ生活をずっと続けられますから」
彼女が「彼女」であるためならば、何でもできた―――――。
離島での生活を始めて二週間ほどが経った。
今まで骸が暮らしていた所よりも気候的に寒い所だからか、今まで感じていた季節のサイクルよりもずっと早く秋の深まりを感じる気がする。移り変わる自然を間近で見られるから、余計にそう感じるのかもしれない。
暮らしていく上で、不便な事は特にない。今までも一人暮らしをしてきているから家事も慣れたものだし、正直刑務所での生活を経験していると、保護観察期間がまだあるとはいえ、自由な時間が多い分ストレスも少ない。
数学等に熱中すると食事を抜いてしまう事が多々あるけれど、それは以前からの癖のようなもので、困るほどの問題でもなかった。
始めの数日の間こそ、住人の目が気になったけれど、それも今では感じない。むしろ骸が思っていた以上に、この離島に暮らす人は余所者に甘いようだ。いや、甘いというよりも、余所者に慣れているのかもしれない。
じろじろとこちらを観察していたような住人でも、骸と付き合っても害がないと判断したのか、徐々に親しみをもって接するようになった。それこそ骸には過剰だと思えるような親切心を見せるから、時折反応に困ってしまう。
働くようになった塾でも、見た目の良さも手伝って親からの評価も高いらしい。雇い主も「さすが教職をされていただけあって、教え方が上手い」と太鼓判を押してくれた。ただ、子どもは骸の本質を無意識に感じているのか、遠巻きな態度を崩してはいないが。
余所者で、しかも前科のある犯罪者だというのに、島の住民の反応は驚くほどに温かかった。前科については気付いていないだけかもしれないが、引越しのシーズンから大きくずれたこの時期にやってきた余所者に対する態度とは思えぬ位、とても気さくだった。
けれど骸にはそれが煩わしい。誰かと馴れ合うつもりも触れ合うつもりもない。町内会だの青年会だの、そういうものも必要最低限の事をやるだけで、それ以上の事をしたいと思わないし、打診をされてもやんわりと断っている。
ここで暮らす上で、町内会の何かしらの集まりに参加しなければいけないのはわかる。それがこの土地で暮らすルールだというならば、従うべきだとも思う。しかしそれに参加したとしても、適当な愛想笑いを浮かべ、用が済めばすぐに帰宅する事を繰り返した。
住人がそんな骸に戸惑っているのはわかっている。中には気分を害している住人がいるのも気付いている。
でもそれで構わない。過度な接触はもちたくないし、優しくされたい訳じゃない。何より、優しくする方法がわからない。だからこれでいい。
そう思っていた矢先の事だった。
いよいよ日暮れの早まった夕方、生徒から欠席の連絡があって足早に家に帰った骸は、今日の夕飯をどうしようかと考えていた。面倒だし、抜いてしまおうかと思ったが、ここ数日数学の問題に熱中してろくに食事を取っていない事を思い出す。そろそろちゃんと食べなければ、仕事に支障をきたすかもしれない。
折角家に帰ってきたのに、また肌寒い外に出るのは億劫だったが、生憎と冷蔵庫にはろくな食材がない。作るのも面倒だし、適当に惣菜を買ってこよう、と玄関のドアを開けた瞬間、思わず骸は固まってしまった。
「あっ……あの、ごめんなさい、インターホン押そうと思ったんですけど、そのっ……ずっと家の前にいたとか、そういう訳じゃなくて……!」
「……いえ、ちょうど僕も家を出ようとしていた所だったので」
「そ、そうなんですか。えっと……、ずっとご挨拶ができなくてすみません。隣に住んでる……っていっても少し離れてますけど。あっちの家に住んでる沢田です」
はにかんだ笑みを浮かべ、数メートル離れた場所にある家屋を指差すのは、二度と会う事がないだろうと思っていた沢田綱吉だった。
記憶の中の彼女よりも随分大人っぽくなった。いや、彼女の実年齢はもう三十を過ぎるかどうか、という所のはずだから、それを思えば相変わらずの童顔である。
けれど緩くウェーブのかかった栗色の髪の毛は最後に会った頃よりも伸びているし、夕暮れが作る影が似合う位には、女性としての色気が増したと思う。
けれどはにかんだ笑みは、以前と何一つ変わらない。骸が守りたかった笑顔のままだ。
ぐ、と喉の奥から言葉にならない思いがせりあがる。けれど当然言葉にならないものだし、言葉にしてはいけないという思いが、それを腹の奥底へ押し戻す。
どういう態度をとればいいのだろう。自分は取り調べ中も裁判の間も彼女が悪女だと散々罵った。けれど今そんな態度を取れば、間違いなく住人が過去の事件に感づいてしまう。自分はともかく、彼女までここで生活する事ができなくなるのは、望ましい事ではない。
ならば「なかった事」にするしかない。
心の中で何度か深呼吸をするイメージを描いた後、骸もやっと笑みを浮かべ、綱吉に答える。
「ご丁寧にありがとうございます。最近ここに越してきた六道と言います」
お久しぶりです、とは言わなかった。言えなかった。
彼女とこうして顔を会わせる事はないと思っていたし、骸はそのつもりもなかった。本当に二度と会う事がないと思っていた。それは彼女も同じだと思っていたのに、何故、彼女がこの離島にいるのか。……それは考える間でもない事なのだけれど。
「あの、六道、さんは……お夕飯、もう食べました?」
「は?」
「もし良ければ、なんですけど……これ」
彼女は手提げバッグからいくつかのタッパーを取り出し、骸の前に差し出してくる。蓋がされているけれど、ほのかに漂う香りはとても美味しそうで、食欲がそそられる。多分煮物の類だろう。
「ちょっと作りすぎちゃって、でも俺一人暮らしだし食べきれないんです。捨てるのももったいないでしょ? だから、良ければもらってくれませんか? あ、えっと、タッパ―はまたポストとかそこらに置いといてくれればいいんで!」
喋るうちに早口になっているのは、多分彼女なりに緊張しているのだろう。当然だ。正直骸も自分らしくないと思う位に心臓が早く鼓動を打っているのだから。
断った方がいい、という気持ちはある。余計な関わりを持たない方がいい、とも。ここの島の住人以上に、彼女との関わりはない方がいいと、骸は思っている。
けれど、不安そうな顔をしている綱吉を見ていると、差し出されたそれを無碍に断ったりなんてできないと思っている自分がいる事にも、骸は気付いていた。
「……ありがとうございます。ちょうど夕飯の惣菜を買いに行こうと思っていた所だったんで助かりました。すみません、頂くだけでこちらからのお返しがないのが心苦しいんですけど……」
結局骸はタッパ―を受け取った。恐らく出来たてをそのまま詰めてくれたのだろう。ほかほかと温かいそれは、少し冷えていた骸の手に温もりを与えてくれる。まるで、彼女の笑顔のように。
「いえ、俺が勝手にやった事だし、それに六道、さんがお引越しされてから、結構経っちゃってるのにご挨拶もできなかったし……」
「それこそこちらから伺うべきですから。すみません、タッパ―をお返しする時にでも何かお詫びのものを用意しますね」
「そんな! ほんと、大丈夫ですから!」
「いえ、そうさせて下さい。そうじゃないと僕の気が済まないんです」
慌てたように手を顔の前で振る彼女に、骸は苦笑に近い笑みを浮かべて首を傾げてみせる。すると彼女も困ったように視線をあちこちに彷徨わせていたが、断り続けるというのは諦めてくれたらしかった。
「じゃあ、俺帰りますね。もしお口に合わなかったら捨ててくださっていいですから。じゃあ」
「わざわざありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる彼女に骸も頭を下げ、軽く手を振って見送る。すると彼女もはにかんだ笑みを浮かべ、もう一度頭を下げてから数メートル離れた所にある住居へと入っていった。
それを見届けた後、骸も家の中に入る。そして深い溜息を吐き出した。
「容疑者Xの献身」Wパロムクツナ子です。
土台となる事件等は原作を元に多少改変はしていますが、この話は「原作のその後の妄想」になりますので、原作を読んでなくても大丈夫かと思います(読んでたらより一層わかりやすいとは思います/笑)
表紙は高遠さんにお願いしました。お忙しい中、どえらい素敵なものを本当にありがとうございました…!
さりげに雲雀が出張りまくってるんですが、ちゃんと最後はムクツナでハッピーエンドです。
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